交通は、人の移動ならびに物の輸送にかかわる国民の諸活動の基礎であり、かつ社会の活力や人々の暮らしに直接の影響を及ぼす営みである。来春、国会に上程されようとしている「交通基本法案」は、交通政策を立案・実施する根拠法の性格をもつ法律であると位置づけられる。現在議論されている国土交通省の「「交通基本法の制定と関連施策の充実に向けた基本的な考え方(案)」(以下「考え方」)は、国民の「移動に関する権利」を主軸に、また各関係主体の責務を規定することにより、真に国民に利益をもたらす交通政策の策定・展開に資する可能性を有したものであるという点で評価したい。
1986年に設立された交通権学会は、これまで「国民の交通に関する諸権利」(交通権)の視点から交通問題を研究し、1998年には「交通権憲章」を提起した。こうした本学会の立場から日本の交通問題の現状をみると、生活に密着した地域公共交通のサービス低下・衰退や、いまなお多くの被害をもたらす道路交通事故や温室効果ガスの排出問題など、多くの問題が未解決のままで残され、問題によっては深刻化さえしていると判断される。この間「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」の施行など、事態改善への動きもみられたが、その成果はなお限定的である。
「考え方」に示されている、国民が憲法に基づく「健康で文化的な最低限度の生活」を営むために移動権を保障することが交通基本法の原点であるとする認識は共有するところである。しかしながら、交通権学会で議論・検討してきた「交通権」の概念と比較検討すると、その一部を充たしてはいるがなお隔たりがある。交通基本法がどのような内容の権利を盛り込むかは、法をベースにした個別の交通関連法や施策の具体化にも大きな影響を及ぼす可能性があることから、社会権としての「国民の交通する権利」が盛り込まれるよう学会として求めたい。
交通とは人の移動ならびに物の輸送に関する多岐にわたる概念と捉えることができるが、「中間整理」に示された法案では各条文における交通の定義・対象が明確でなく、どのような政策目標を達成するために各条文が設けられているのかも必ずしも明確でない部分がある。例えば、徒歩や自転車はどう扱うのか、あるいは「安全で円滑で快適な交通施設等の利用等」ではどのような「交通施設等」の「利用等」が、目的とどのように関わるのか明確でない。また、「交通体系の総合的整備」も単に「整備」と記述しただけでは、これまでの縦割型のインフラ整備方式の延長線上の政策にとどまる懸念がある。
交通基本法は基本法であるので、具体的には財源の配分、税制的対応、各関係主体への権限の付与等については、個別法をつくる必要がある。またこれを行わないかぎり基本法の理念は具体化しない。個別施策については「考え方」「国土交通省政策集2010」等において順次提示されつつあるが、国土交通省および他省庁の既存施策の延長・再掲にとどまる内容も多く認められ、交通基本法を軸とした政策再編にはなお隔たりがあると考える。
学会としては前述したような認識と問題意識に基づき、今後とも関連の諸施策について研究を深め、問題提起を行っていきたい。とりわけ国民の「交通権の保障」には公共交通が中心的に役割を果たすことに鑑み、(1)私的自動車交通の今後のあり方、(2)地域公共交通の持続的な運営を可能とする費用負担や制度、(3)交通政策の定量的かつ継続的評価の手法などの諸課題について、国および地方公共団体の施策立案の参考となるような研究成果を公表していきたい。
2010年7月18日 交通権学会
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